日本の行政区画は一都一府43県からなっているが、その2府とは大阪府と()府のことを指す。
()に言うと、正しくない日本語を話す日本人も少なくない。
体の弱い者にとっては、医療費が安い()ありがたいことはない。
私はその困っている学生に、空いている部屋をただで提供した。学生は私のために力仕事をしてくれたり、話し相手になってくれる。お互いにとっていいこと()の取り引きだった。
あの人は一度も日本に来たことがないのに()、きれいな日本語を話すね。
この成績ではねえ。今からいくらがんばった()、卒業することは難しいと思うよ。
社長と()、社員の個人のプライバシーを侵すことはできない。
行政が福祉施設に補助金を出すことは消費者に税金を()することと言える。
请将“同じことを何度も言わせないでほしいです。もう一度言いますから、よく聞きながらメモをとっておいてください。”翻译成中文。
他の人にとって厳しいトレーニングでも、あの運動は山田さんにとってはちょうどいい散歩()。
ピアノを弾くことは、わたし()一番の楽しみです。
転勤でブラジルに行くことになった。外国に住む()と、張り切ってポルトガル語を勉強し始めた。だが、その言葉の環境のないところで外国語を学ぶのは難しい。
彼に()が最後、二人の仲を隠し通すことは不可能だろう。
現状に即した対策を()、理論だけが空回りしている。これでは事態を打開することは難しいだろう。
アメリカ人といっても、皆が必ずしも英語を話す()。
いまさらどんなに後悔した()、失敗を元に戻すことはできない。
人間にとって、生活の維持も()、よりよく生きることが大切な問題だ。
ポケットに本を一冊入れて旅に出る、野原を歩く、町のどこかに座って読むというのは楽しいことだ。十代なかばだったが、一冊の長篇小説をしゃがんだまま読んでしまったことがあり、目をあげた時に日の光が変わっていたことを思いだす。私にとって一つの幸福だった。 問:「日の光が変わっていた」というのはどんな意味を持っているか。
わたしにとって、カラオケで好きな歌を歌うことぐらい()。 A. とても楽しいです B. 楽しいことはありません C. 楽しくはありません D. 楽しいことがあります
いくら長生きでも、100歳以上生きることは難しいが、60歳まではいかに短命な人でも、生きうる能力があるとしています。
語のまとまりの分け方が正しいかどうか、判断してください。 しなければならない/ことは/もちろん/言われなくても/分かっているが/、しよう/しようと/思っている/うちに/、どんどん/時間が/過ぎていく。
緑の中にいれば落ち着き、安心だ。なぜだろう。わたしたちは高等なサル(猿、猴子)だから。サル類の生態的特徴は森の中で木の上に住んでいることである。前後左右を全部緑に囲まれ、その中で適応してきて、緑の中にいると安心だという感覚が、われわれの本性の中に、生まれながらあったのだと思う。人間にとって、森は(ア)生産資源である。(イ)環境資源でもある。(ウ)文化的な資源でもある。残念ながら日本ではこれまで文化的な利用の面が西欧に比べてとても低調だった。森の文化というと難しいようだが、川遊びと同じように、森遊びがあっていいと思うのである。特に子どもたちを森に誘いたい。本来子どもは、みな野生の力を持っている。それが強い教育管理の下で抑圧されている感じがする。草も木も虫も魚も命を持つものである。命あるものとの対話の楽しさを、子どもたちに知ってほしいのである。われわれの内にある自然が外の自然と触れ合って、いろいろな余韻を奏でていく。それが森遊びの楽しさである。その中で子どもの野生の力が出てくるはずだと思う。森遊びが子どもの本来の野生の力を出すことのできる理由はどれか()。
「わが国にとってこんな悪い時はない」と、みんなは嘆(なげ)きました。ダルガス(人名)もそれを否定することはできませんでした。しかし、「祖国の復興には、こんなよい時はない」と、彼が固く信じていました。もちろん、それをはっきり口に出して言うことはできませんでした。そんなことを言ったら、戦争に負けたことを喜んでいると、ののしられた(被骂)でしょう。彼は、ただ実行によって自分の信念を示すほかはないと思いました。それで彼は「まったくわが国にとって(ア)時だ。だが、われわれは外に失ったものを内に取り返す(弥补)ことはできる。われわれの生きている間に、(イ)。」と言っていました。ダルガスは、祖国の復興はまず木からだと思いました。緑の木の茂っている(しげる)国は、必ず栄え、木の乏しい、秃山や荒野の国は、必ず衰えます。いや、木の茂っていることが国の栄えている印であり、木の乏しいことが国の衰えている印です。過去、現在を通じて、世界の国々の実例がはっきりそのことを示している。文中の「そのこと」の指すのは()どれか
49、以下は、辞書の編集にかかわったことのある人が書いた文章である。 最新の意味が、辞書に載ってない、とはよく言われることである。保守的(注1)すぎる、と。辞書は、 その点、小回りがきかない(注2)。けれども、最新の意味を辞書に載せたとたん、その意味が消えてしまったらどうだろう。その辞書は、もう使われもしない古い意味を載せていることになる。だから、辞書の編者は、新しい意味が、日本語の中に、きちんと定着するかどうかを見極め(注3)ている。保守的というより、慎重だと言ってほしい。 (小野正弘『オノマトべがあるから日本語は楽しいー擬音語.擬態語の豊かな世界』による) (注1)保守的:新しいものを受け入れず、古いものを守ろうとすること。(注2)小回りがきく:状況にすぐに対応できる。 (注3)見極める:ここでは、十分に観察し、確かめる。 問.最新の意味が、辞書に載っていないとあるが、なぜか。