金があるからといって、()、子供はろくな大人にはならない。
この問題は難しいとは聞いていたが、それにしてもこれほど難しいとは()。
外国では、マンガは子供の読むものという常識がある。
だれにでも他人に()過去があるものだ。
全部答えなくて結構です。答え()範囲で答えてください。
「気のおけない人」というのは「気楽に付き合える人」という意味だが、今の若い人は「信用できない人」という意味で使っているらしい。それに()、日本語の変化の早さにはおどろくべきものがある。
動物だって親()兄弟も友だちもある。それを意味なく、一匹だけつかまえたりするものではない。
あなたには気に入らなくても、私には私()やり方があるのです。好きにさせてください。
あの女優は()があるから、今度の映画作品の主人公に選ばれた。
来週また来るから、()ときまでにこれについて考えておいてね。
大学に入って勉強している人が、高卒で働いている人を見下すことがあるが、それは大きな過ちだ。学生はそういう人たちに勉強()のだ。大学を支えているのは、働いている人たちの税金なのだから。
あのレストランは珍しいものが食べ()から、人気があるのです。
ちょっと高くない()が、ほかに適当なものがないから、これにしよう。
食事の時や休憩の時日本ではよくお茶を飲みますが,日本ではいつ頃からお茶を飲み始めたのでしょう。今から800年くらい前からだそだ。始めはお茶は中国から輸入していました。昔は大珍変しくても高いものでした。それで藥としてか飲みませんでした。日本に始めてお茶の木を植えたのは700年くらい前です。京都の近くの宇治というところです。それからだんだんお茶をたくさん取れるようになって値段も安くなり,多くの人が飲み始めました。最初から日本にお茶がありましたか。()
言われた()やればいいから、そんなに難しく考えなくていいよ。
この小説はつまらなくて読む(にたえない)。
実に嘆かわしいことであるが、そういう人が少なからずいるのである。問:「そういう人」とあるが、それはどれぐらいいるか。
新幹線のプラットホームの駅名表示は、その駅から乗る人やその駅で降りる人には必要ない。乗る人にはわかりきっていることだし、降りる人には車内でのアナウンスなりなんなりがあるからである。そうすると、通過する列車の乗客のためにしか役立たないものだが、それにしては新幹線のスピードが速すぎるのか、表示の字が小さすぎるのか、とても読めたものではない。つまり、何のために新幹線のプラットホームに駅名が書いてあるのだろうか。 問:筆者が、言いたいことは何か。
島に住んでいる動物と大陸に住んでいる動物とでは、サイズに違いが見られる。典型的なものは象で、島に隔離された象は、世代を重ねるうちに、どんどん小形化していった。島というところは、大陸に比べ食物量も少ないし、そもそもの面積も狭いのだから、動物の方もそれにあわせてミニサイズになっていくのは、なんとなく分かる気がするが、話はそう単純ではない。鼠や兎のようなサイズの小さいものを見てみると、これらは逆に島では大きくなっていく。問:島に住んでいる動物のサイズはどうなるか。
数学に関してぜひとも言っておきたいことがあります。 数学が嫌いな人が多い理由の一つは、数学はできるかできないかがはっきりしているためです。できないとどうしても嫌いになるのです。そこで、ぼくがどうやって数学を勉強してか、それについて話をします。 ぼくは、14歳のとき、夏休みにずっと親の別荘にいて、昼間ずっと数学の問題を解いていました。数学の分厚い問題集の中の問題を解く。 これ はけっして日本人ができないことではありません。 問:「これ」とはどのようなことか。
あれほど注意したにもかかわらず規則に違反したのだから、学校側は彼らを()。
緑の中にいれば落ち着き、安心だ。なぜだろう。わたしたちは高等なサル(猿、猴子)だから。サル類の生態的特徴は森の中で木の上に住んでいることである。前後左右を全部緑に囲まれ、その中で適応してきて、緑の中にいると安心だという感覚が、われわれの本性の中に、生まれながらあったのだと思う。人間にとって、森は(ア)生産資源である。(イ)環境資源でもある。(ウ)文化的な資源でもある。残念ながら日本ではこれまで文化的な利用の面が西欧に比べてとても低調だった。森の文化というと難しいようだが、川遊びと同じように、森遊びがあっていいと思うのである。特に子どもたちを森に誘いたい。本来子どもは、みな野生の力を持っている。それが強い教育管理の下で抑圧されている感じがする。草も木も虫も魚も命を持つものである。命あるものとの対話の楽しさを、子どもたちに知ってほしいのである。われわれの内にある自然が外の自然と触れ合って、いろいろな余韻を奏でていく。それが森遊びの楽しさである。その中で子どもの野生の力が出てくるはずだと思う。森遊びが子どもの本来の野生の力を出すことのできる理由はどれか()。
作家というものは、その作品を書いている間だけ「作家」である。原稿を書いている時の私は作家だが、原稿を書いていない時の私は、「何を考えているのかわからないへんなやつ」である。実際にそうだと思うし、それでいいと思っている。 問:「それ」は何を指していますか。
49、以下は、辞書の編集にかかわったことのある人が書いた文章である。 最新の意味が、辞書に載ってない、とはよく言われることである。保守的(注1)すぎる、と。辞書は、 その点、小回りがきかない(注2)。けれども、最新の意味を辞書に載せたとたん、その意味が消えてしまったらどうだろう。その辞書は、もう使われもしない古い意味を載せていることになる。だから、辞書の編者は、新しい意味が、日本語の中に、きちんと定着するかどうかを見極め(注3)ている。保守的というより、慎重だと言ってほしい。 (小野正弘『オノマトべがあるから日本語は楽しいー擬音語.擬態語の豊かな世界』による) (注1)保守的:新しいものを受け入れず、古いものを守ろうとすること。(注2)小回りがきく:状況にすぐに対応できる。 (注3)見極める:ここでは、十分に観察し、確かめる。 問.最新の意味が、辞書に載っていないとあるが、なぜか。