指定券は乗る日の1週間前に売り出すので、今はまだ()のです。
主婦は、夫と子どもを残して、旅行で3日も家をあけると、家の中がどうなっているか、()だに恐ろしいという。
ただ安いからといって、すぐ飛び付いていたら()。
元オリンピック選手()あって、今でも走ると若者よりも速い。
犯行直前に現場で()人物を見かけたという証言があった。
勉強は、がんばればがんばるほど成果が速く出ることが多い。しかし生き物を育てる仕事は、がんばったからといって成果が早く()。何もしないでじっと待っているのが一番、ということもある。
私は()というと、皆で騒ぐより、一人でいる方が好きだ。
これはあなたの仕事だが、どうしても一人では間に合わないというなら()。
イタリアで音楽の勉強をするという計画は父の突然の死により()夢となってしまった。
彼の()はことごとく成功し、あっという間に昇進した。
何かを勉強したいというより、ただ一流大学に入らんが()勉強している人が多い。
10年間Ⅰ日も休まなかったという練習があって()、今日の彼がある?
人間にとって、生活の維持も()、よりよく生きることが大切な問題だ。
请用假名填空:安い( )安いですが、質がちょっと…。
请用假名填空:安い( )安いですが、質がちょっと…。
子どものゲーム機使用に悩む親が多いという。時間を上手に使い、生活リズムが乱れなければ、子どもにとっても、ゲームはストレス発散に良いと思います。しかし、大人より時間の管理能力が苦手な子どもは、ゲームの楽しさに夢中になってしまい、睡眠不足や学習意欲の低下などに陥る恐れがあります。そこで提案です。ゲーム機の製造段階で、例えば、ゲーム機本体に週に合計3時間という制限を設け、それを過ぎたら、翌週まで本体が作動しなくなる仕組みです。問:筆者の意見に合うものはどれか。
ひとりの子どもの話です。 仕事で疲れ切って、家ではごろごろしてテレビばかりを見ている父親はあまり存在感がない、まるで透明人間みたいだ、という子の文章がありました。 これ ではいけない。子どもたちに、父親が働いている姿を見せたらどうか。そういう意見もあって、ある母親は子どもを連れて、父親が働く工場へ行くのです。 問:「これ」は、何を指すか。
昨日日が暮れてから、事務所の人と花見に行った。花の咲いた木の下で、みんなでお酒を飲んで、踊りを踊って、騒いだ。外国にはこういう習慣はあまりないらしい。外国人はきっと驚くだろう。問:正しいものはどれですか。
腐らない食品の便利さと、殺菌料の危険性のどちらを選ぷかといえば、わたしたちは少なくとも食べるものだけは100パーセント安全であってほしいと願っている。医者や生物学の専門家たちが、AF2(殺菌料)の強い毒性を指摘したとき、その安全が100パーセント立証できるまでは使用停止にするのが、厚生省の本来あるベき行政指導というものではなかっただろうか。疑わしきは罰せずというのは人間に対する法律であって、食品に関しては疑わしきは直ちにストップをかけるべきではないだろうか。問:筆者の主張を―つ選びなさい。
仕事人間という言葉は、人生を会社にささげてしまい、定年後に何もできないようでは困るという意味で使われることが多い。確かに人間として、会社での仕事だけしかできないというのはある意味でさみしいことかもしれない。けれど、一生目標がみつからず、「合わない」「向かない」と繰り返すより、ずっと素直で幸せと言えるのではないか。 問:この文章で筆者が最も言いたいことは(A)です。 (A)仕事しかできない人生というのは困るし、さみしいが、しかたないことである。 (B)すべてのものの中で会社の仕事を一番に考えて生きるのも幸福な人生と言える。
以前、猫の雑誌で読者の人の投稿を読んではっとさせられたことがある。子育てが一段落したという投稿者の女性は、日々猫に癒されているそうなのだが、猫がご飯を食べたりしただけで「たくさん食べて偉いね」など褒めすぎっているのだという。そんな自分の行動から、「自分の子供にも口うるさいことばかり言わずに、もっと優しく接して褒めてやればよかった」と 1 振り返っていた のだが、子供のない私にもその言葉は心に染み入
緑の中にいれば落ち着き、安心だ。なぜだろう。わたしたちは高等なサル(猿、猴子)だから。サル類の生態的特徴は森の中で木の上に住んでいることである。前後左右を全部緑に囲まれ、その中で適応してきて、緑の中にいると安心だという感覚が、われわれの本性の中に、生まれながらあったのだと思う。人間にとって、森は(ア)生産資源である。(イ)環境資源でもある。(ウ)文化的な資源でもある。残念ながら日本ではこれまで文化的な利用の面が西欧に比べてとても低調だった。森の文化というと難しいようだが、川遊びと同じように、森遊びがあっていいと思うのである。特に子どもたちを森に誘いたい。本来子どもは、みな野生の力を持っている。それが強い教育管理の下で抑圧されている感じがする。草も木も虫も魚も命を持つものである。命あるものとの対話の楽しさを、子どもたちに知ってほしいのである。われわれの内にある自然が外の自然と触れ合って、いろいろな余韻を奏でていく。それが森遊びの楽しさである。その中で子どもの野生の力が出てくるはずだと思う。森遊びが子どもの本来の野生の力を出すことのできる理由はどれか()。
2003年12月3日、南極観測船「しらせ」は第4次南極観測隊64人を乗せて、オーストラリアの西海岸フリーマントル港を出発した。南緯45度を越えて、揺れが大きくなってきた。歩いていると、あれ~おっとっとと……思わず、体が飛んでいってしまう。これでもまだ船の傾斜は20度足らずとか、「こんなのは静かなほうだよ」と「しらせ」の乗組員に笑われた。大揺れがこないうちにと、出港初日の3日からきょうまでの4日間、「しらせ大学」が開かれていた。「しらせ」乗組員向けに観測隊員がそれぞれの専門分野を講義するものだ。1日2人がそれぞれ30分ずつ。「大気球――成層圏に気球を揚げる」「雪上車の歴史」「ペンギン(企鹅)の秘密」といった様々なテーマだ。船酔いで眠そうな隊員たちと対照的に、会場いっぱいに集まった「しらせ」乗組員は皆、とても熱心な表情。質問していた1人に後で尋ねてみると、「きょうで終わりじゃ物足りない。昔は卒業証書ももらえたのに残念だな。」わたしたちも船の中で、気象、航空機、料理、医者、カメラ、いろいろな仕事をする乗組員の方々にたくさんの刺激を受けている。違う世界を知るというのは、実に楽しいものだ。文中の「質問していた1人」はだれか()。
第二次大戦後、中国政府(中華民国政府)のようせい()により、日本政府は公式には支那という言葉を使わないように通達を出します