私は時々自然にあこがれて山の家に行く。ところが3日もたたないうちに、都会の便利な生活が恋しくなってしまう。もう文明()暮らせなくなってしまったらしい。
よほど疲れていたのだろう。彼女は横になる()、寝入ってしまった。
新空港の建設候補地は、交通の便のよさという点で当地()ほかにはないだろう
市価より2,3割安い()、商品はあっという間に売り切れてしまった。
あと一歩というところで優勝を逃してしまい()でなりません。
親にさんざん迷惑をかけ()、飛び降り自殺してしまった彼の人生は一体なんだったんだろう。
最後まで()を張り通してしまうと、気まずい関係になるよ。
イタリアで音楽の勉強をするという計画は父の突然の死により()夢となってしまった。
()ハイキングに出かけようというときに雤がぽつぽつ降り出してしまった。
君自身の問題だから、「やめてしまえ」()、いまいちど考え直してみたらどうだろうか。
人前に出ると()してしまうから、営業の仕事なんてとうてい無理だよ。
あの冷静なAさん()上がってしまうのだから、そうでない我々はどうなることか。
もう年だなあ!勉強しても覚える()忘れてしまうよ。
映画での彼の役は通行人だから、()注意して見ていないと見過ごしてしまう。
こういう時、親として子どもに何を言う( )だろう。
33頁の発展問題2の文章を読んで、文章の内容と合っているかどうか、判断してください。写真も髪形も、相手が喜ぶだろうと思ってほめたのだが、ほめたことでかえって相手の気分を害してしまったのはショックだった。
彼は君の教えを守ろうとして、結局、失敗してしまった。( )君に責任がある。問:( )に入る適当な言葉を選びなさい。
腐らない食品の便利さと、殺菌料の危険性のどちらを選ぷかといえば、わたしたちは少なくとも食べるものだけは100パーセント安全であってほしいと願っている。医者や生物学の専門家たちが、AF2(殺菌料)の強い毒性を指摘したとき、その安全が100パーセント立証できるまでは使用停止にするのが、厚生省の本来あるベき行政指導というものではなかっただろうか。疑わしきは罰せずというのは人間に対する法律であって、食品に関しては疑わしきは直ちにストップをかけるべきではないだろうか。問:筆者の主張を―つ選びなさい。
こういう時、親として子どもに何を言う( )だろう。
2003年12月3日、南極観測船「しらせ」は第4次南極観測隊64人を乗せて、オーストラリアの西海岸フリーマントル港を出発した。南緯45度を越えて、揺れが大きくなってきた。歩いていると、あれ~おっとっとと……思わず、体が飛んでいってしまう。これでもまだ船の傾斜は20度足らずとか、「こんなのは静かなほうだよ」と「しらせ」の乗組員に笑われた。大揺れがこないうちにと、出港初日の3日からきょうまでの4日間、「しらせ大学」が開かれていた。「しらせ」乗組員向けに観測隊員がそれぞれの専門分野を講義するものだ。1日2人がそれぞれ30分ずつ。「大気球――成層圏に気球を揚げる」「雪上車の歴史」「ペンギン(企鹅)の秘密」といった様々なテーマだ。船酔いで眠そうな隊員たちと対照的に、会場いっぱいに集まった「しらせ」乗組員は皆、とても熱心な表情。質問していた1人に後で尋ねてみると、「きょうで終わりじゃ物足りない。昔は卒業証書ももらえたのに残念だな。」わたしたちも船の中で、気象、航空機、料理、医者、カメラ、いろいろな仕事をする乗組員の方々にたくさんの刺激を受けている。違う世界を知るというのは、実に楽しいものだ。文中の「体が飛んでいってしまう」の意味はどれか()。
仕事人間という言葉は、人生を会社にささげてしまい、定年後に何もできないようでは困るという意味で使われることが多い。確かに人間として、会社での仕事だけしかできないというのはある意味でさみしいことかもしれない。けれど、一生目標がみつからず、「合わない」「向かない」と繰り返すより、ずっと素直で幸せと言えるのではないか。 問:この文章で筆者が最も言いたいことは(A)です。 (A)仕事しかできない人生というのは困るし、さみしいが、しかたないことである。 (B)すべてのものの中で会社の仕事を一番に考えて生きるのも幸福な人生と言える。
問:「ごみといって片づけてしまわないで」とあるが、ここで「片づけてしまう」とはどういうことか。 毎日使っているコップを割ってしまったとします。するともう水を入れたり、ジュースを入れたりできませんから、捨ててしまいます。このようにちょっと前まで、身近に使っていたものがごみとなります。ごみは、要らなくなったものだし、イメージも悪いので、私たちはすぐに忘れてしまいます。しかし、一口でごみといって片づけてしまわないで、ちょっと考えてほしいのです。 実は、あなたの周りに見えるものはすべてごみなのです。例えば、この本はいずれ紙のごみになります。机、いす、蛍光灯もいずれごみになります。(中略)つまり、ごみは私たちが買ったり、使ったりする品物そのものです。
緑の中にいれば落ち着き、安心だ。なぜだろう。わたしたちは高等なサル(猿、猴子)だから。サル類の生態的特徴は森の中で木の上に住んでいることである。前後左右を全部緑に囲まれ、その中で適応してきて、緑の中にいると安心だという感覚が、われわれの本性の中に、生まれながらあったのだと思う。人間にとって、森は(ア)生産資源である。(イ)環境資源でもある。(ウ)文化的な資源でもある。残念ながら日本ではこれまで文化的な利用の面が西欧に比べてとても低調だった。森の文化というと難しいようだが、川遊びと同じように、森遊びがあっていいと思うのである。特に子どもたちを森に誘いたい。本来子どもは、みな野生の力を持っている。それが強い教育管理の下で抑圧されている感じがする。草も木も虫も魚も命を持つものである。命あるものとの対話の楽しさを、子どもたちに知ってほしいのである。われわれの内にある自然が外の自然と触れ合って、いろいろな余韻を奏でていく。それが森遊びの楽しさである。その中で子どもの野生の力が出てくるはずだと思う。森遊びが子どもの本来の野生の力を出すことのできる理由はどれか()。
2003年12月3日、南極観測船「しらせ」は第4次南極観測隊64人を乗せて、オーストラリアの西海岸フリーマントル港を出発した。南緯45度を越えて、揺れが大きくなってきた。歩いていると、あれ~おっとっとと……思わず、体が飛んでいってしまう。これでもまだ船の傾斜は20度足らずとか、「こんなのは静かなほうだよ」と「しらせ」の乗組員に笑われた。大揺れがこないうちにと、出港初日の3日からきょうまでの4日間、「しらせ大学」が開かれていた。「しらせ」乗組員向けに観測隊員がそれぞれの専門分野を講義するものだ。1日2人がそれぞれ30分ずつ。「大気球――成層圏に気球を揚げる」「雪上車の歴史」「ペンギン(企鹅)の秘密」といった様々なテーマだ。船酔いで眠そうな隊員たちと対照的に、会場いっぱいに集まった「しらせ」乗組員は皆、とても熱心な表情。質問していた1人に後で尋ねてみると、「きょうで終わりじゃ物足りない。昔は卒業証書ももらえたのに残念だな。」わたしたちも船の中で、気象、航空機、料理、医者、カメラ、いろいろな仕事をする乗組員の方々にたくさんの刺激を受けている。違う世界を知るというのは、実に楽しいものだ。文中の「質問していた1人」はだれか()。