彼は急に怒って帰ってしまった。私たちは何が何だか()分からなかった。
子供たちは庭で()遊んでいます。
彼はいわば天才であって、誰もが努力して彼のようになれる()。
元オリンピック選手()あって、今でも走ると若者よりも速い。
選手たちは、あらん()の力を出して決勝戦を戦った。
私たちは()通して世界中の情報を手に入れることができるようになりました。
「さあ、今日が決戦だ!」()、選手たちは勢いよくグランドに出て行った。
大学に入って勉強している人が、高卒で働いている人を見下すことがあるが、それは大きな過ちだ。学生はそういう人たちに勉強()のだ。大学を支えているのは、働いている人たちの税金なのだから。
新企画の中止が決まろうとしているが、担当した者たちは反対せずには()。
私たちが多分使っている(銀貨)やどうかは、みんな丸い形をしています。()
昨日とうって変わった彼女の態度に、私たちはひとかたならず驚かされた。
加藤さん:きのう、郵便局へ行ったんですが、そこでお宅の奥さんにお会いしましたよ。おとなりのチンさんもいっしょでしたよ。ヤンさん:あ、そうですか。加藤さん:いやあ、日本語がとても上手になりましたね。ヤンさん:いえいえ、そんなことありませんよ。まだ私といっしょでなければ困ることが多くて……。子供たちは毎日勉強してますから、今はもうほとんど問題ないんですが。加藤さん:いや、本当にびっくりしましたよ。とてもお上手なんて。問:加藤さんは、なぜびっくりしたのか。
小さな子供たちは見るもの、触るもの、なんでも不思議がります。「あれなあに?」「なぜ?」「どうして?」の連発で大人たちを困らせます。いざ説明してやろうと思って、どうしてもうまく説明できず、自分ではわかっていると思っていたことが、実はさっぱり分かっていなかった、と発見させられることがあります。問:「発見させられる」とあるが、誰が発見させられるのか。
昨日、王さんとデパートへ買い物に行きました。王さんは靴と鞄を買いました。私は好きですが、赤い服を買いませんでした。とても高かったからです。買い物してから、中華料理を食べました。とても辛かったですが、美味しかったです。問 文章の内容とあっているのはどれですか。
22頁の発展問題2の文章を読んで、文章の内容と合っているかどうか、判断してください。 近年は、親の介護に追われる人たちが、経済的に厳しくなって相談員ができなくなった。
発展問題の文章を読んで、文章の内容と合っているかどうか、判断してください。 (2)[ ] 運命の人に出会えない女性たちは、特 别 に運が悪いわけではない。
子供たちの多数は、学級編成の方法を知るはずもなく、喧騒の声を上げているが、看板の中に自分の名前を見つけられずに困っている子供がいる。一組から順に見ていくのだが名前はどこにもない。仕方なく新しい学年の列の後ろでうろうろしているが、他の子供たちはあたらしい仲間とのおしゃべりに夢中である。問:「うろうろしている」のは誰ですか。
ひとりの子どもの話です。 仕事で疲れ切って、家ではごろごろしてテレビばかりを見ている父親はあまり存在感がない、まるで透明人間みたいだ、という子の文章がありました。 これ ではいけない。子どもたちに、父親が働いている姿を見せたらどうか。そういう意見もあって、ある母親は子どもを連れて、父親が働く工場へ行くのです。 問:「これ」は、何を指すか。
腐らない食品の便利さと、殺菌料の危険性のどちらを選ぷかといえば、わたしたちは少なくとも食べるものだけは100パーセント安全であってほしいと願っている。医者や生物学の専門家たちが、AF2(殺菌料)の強い毒性を指摘したとき、その安全が100パーセント立証できるまでは使用停止にするのが、厚生省の本来あるベき行政指導というものではなかっただろうか。疑わしきは罰せずというのは人間に対する法律であって、食品に関しては疑わしきは直ちにストップをかけるべきではないだろうか。問:筆者の主張を―つ選びなさい。
130頁の発展問題の文章を読んで、文章の内容と合っているかどうか、判断してください。 運命の人に出会えない女性たちは、特 别 に運が悪いわけではない。
水泳の試合が開始された。合図とともに、選手たちは( )プールに飛び込んだ。
問:「ごみといって片づけてしまわないで」とあるが、ここで「片づけてしまう」とはどういうことか。 毎日使っているコップを割ってしまったとします。するともう水を入れたり、ジュースを入れたりできませんから、捨ててしまいます。このようにちょっと前まで、身近に使っていたものがごみとなります。ごみは、要らなくなったものだし、イメージも悪いので、私たちはすぐに忘れてしまいます。しかし、一口でごみといって片づけてしまわないで、ちょっと考えてほしいのです。 実は、あなたの周りに見えるものはすべてごみなのです。例えば、この本はいずれ紙のごみになります。机、いす、蛍光灯もいずれごみになります。(中略)つまり、ごみは私たちが買ったり、使ったりする品物そのものです。
「おはよう」とか、「こんにちは」とかいうあいさつの言葉は考えてみれば、意味のない言葉のようにも思われます。昼間近くになっても、午前中なら「おはよう」というのは理解しにくいです。また「こんにちは」と言っても、「今日はどうした」というわけでもないのですから、まったく意味がない言葉だという意見もあるようです。だが、あいさつというものは、そういうふうに考えるべきではないでしょう。 [問題]「そういうふうに」とあるが、何を指すか。
緑の中にいれば落ち着き、安心だ。なぜだろう。わたしたちは高等なサル(猿、猴子)だから。サル類の生態的特徴は森の中で木の上に住んでいることである。前後左右を全部緑に囲まれ、その中で適応してきて、緑の中にいると安心だという感覚が、われわれの本性の中に、生まれながらあったのだと思う。人間にとって、森は(ア)生産資源である。(イ)環境資源でもある。(ウ)文化的な資源でもある。残念ながら日本ではこれまで文化的な利用の面が西欧に比べてとても低調だった。森の文化というと難しいようだが、川遊びと同じように、森遊びがあっていいと思うのである。特に子どもたちを森に誘いたい。本来子どもは、みな野生の力を持っている。それが強い教育管理の下で抑圧されている感じがする。草も木も虫も魚も命を持つものである。命あるものとの対話の楽しさを、子どもたちに知ってほしいのである。われわれの内にある自然が外の自然と触れ合って、いろいろな余韻を奏でていく。それが森遊びの楽しさである。その中で子どもの野生の力が出てくるはずだと思う。森遊びが子どもの本来の野生の力を出すことのできる理由はどれか()。